島崎 直美             99.10.21

クアニ アナク ネ シマサキ ナオミ セコロ クレヘ アン ワ。

 私   は     島崎  直美  という 名前  です。

クアニ アナク ネ シロイシ  ワ  クエク ルウェ ネ。

 私   は     白石  から  来      ました。

 私は鵡川の部落、チン コタン で生まれ育ちました。現在も両親、弟が

住んでいます。私の場合、父の代理人として請求者となり、原告となってい

ます。父は寝たきりの母の看病のため、この場に出席することができません。

 当時、共有財産のことについて話をした時、これから育つ若いアイヌ、子

供たちに役立っことができるのなら、ぜひ申請をすると言って書類を出して

くれました。この父の思いも含めて私の意見を述べたいと思います。

 私はいま40歳になりますが、アイヌの自覚は幼少の頃からありましたが、

アイヌだからといって決して卑屈には育ちませんでした。私の育ったチン

コタンは名のとおり混血のアイヌがたくさんいたので、私はいじめなど受け

ずに来ました。私の中でのアイヌのイメージは回りの大人からの影響もあり、

けっしてよいイメージではありませんでしたが、ほんの軽い気持ちでウタリ

協会に入会してから勉強していくうちにどんどんイメージが変化してきまし

た。アイヌにはどうして貧困者が多いのか。まだ差別が当たり前のようにま

かり通ってきたのか。教育のレベルは? といった問題がたくさんありまし

た。

 勉強して分かってきたこと、それはアイヌのためと言つつ「北海道旧土

人保護法」が制定され、その中で長い歴史の始まりがありました。それは決

してアイヌを豊かにさせませんでした。私たちの祖先達は豊かで穏やかであ

った時代に独自の生活、文化、古くから培われてきた習慣、言語など素晴ら

しいものがたくさんあったのに、和人がたくさんアイヌモシリに押し寄せ、

自分達の社会環境を整備するために、自然を奪い、またアイヌの社会を全部

奪った行為は許せません。

 私は最初に下手なアイヌ語で自己紹介をしました。アイヌ語を習い始めて

4年くらいになりますが、いまだに覚えたのはほんの少しです。それでも私

の言葉だから、アイヌの母語だから、と勉強しています。こんな素敵な言語

を、本来なら父母から伝承されるはずなのに、と思うことがしばしばありま

す。この言語も同化政先の犠牲そのものになったのかと残念でたまりません。

また、私はアイヌ史を読み直してみました。その中の「共有財産」に目を止

め、何度も何度も読みましたが、納得できませんでした。その内容は「共有

財産とは明治初期に開拓使がアイヌのために官営の漁場を営んだ際の収益の

剰余金、子弟教育のための宮内省からの御下賜金、開拓使以来給与してきた

「救恤(きゅうじゅつ=貧乏人、催災者などを救い恵むこと)米」の余剰に

よる資金を積み立てたものからなっている」とありました。勝手にアイヌの

領土に入り、搾取しておいて、この日本政府のやり方は許せないと患います。

この法律が2年前まであったのかと思うと信じられないが、これも現実なの

だと受け止めています。

 アイヌ新法が制定されるのが楽しみでもあったのですが、これもまた骨抜

きの制定で、アイヌの生活に何の効力もありません。日本政府のごまかしだ

と思います。実際、私の生活に何の変化もございません。文化伝承、もちろ

ん大切ですが、その前にアイヌの生活実態は何も変わりません。「北海道旧

土人保護法」が明治32(1899)年に制定されてから百年間、いや、そ

れ以前からアイヌは苦しんできました。もう間近かに21世紀がきます。ま

た今までたどってきた悲しい歴史、過ちを繰り返さないで欲しいと思ってい

ます。

 私たちの子孫、未来へと続くこれからの子供たちのためにも、アイヌみん

なが納得できる判断を望み、私の意見を終わります。